東久留米餃子

ぎょうざや へいはち
東京都東久留米市幸町3-13-1
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ぎょうざやへいはちブログ

愛はスローにちょっとずつ・・・
2021.03.09

夢に訪れる・・・もういいだろう。。。

https://www.youtube.com/watch?v=svk_stIa8sc

 

不思議な出来事
2021.02.24

こんにちは、店主の市川です。

久しぶりの投稿です、『むかしむかしの放浪記』も更新しなくてはと思いながら久しく間が空いてしまい申し訳ありません。(て言っても読んでくれている人がいるのか?なんてことも思いますが・・・笑)もうしばらくお待ちください。

 

さて、今日は先日不思議なことがありまして、これは書かないとと思い・・・・・

始まりはもう半年以上前のことになります。

ちょっと仕事で埼玉県のある街へ。

そこは大きな川が流れていて自分の店から車で1・2時間ぐらいの距離なんだけど、街を少し出ると周りは畑や田んぼが広がり長閑な風景なんです。

半年ぐらい前のある日、私は仕事先で用を済ませ車で家路に着いていました。

夜も結構な時間になっていたのですが真っすぐ帰るのがなんか嫌で少し回り道をして帰ろうと思い、いつもは通らない道を走っていると右側にポツンとピンク色をした建物が、一旦は通り過ぎたのですが何か気になったのでもう一度引き返してみた。今考えると『引き込まれた』という方がしっくりくのるかな・・・

そこは今は誰も住んでいる様子はなく、以前は中華料理のお店だったようでそれらしい店の看板が朽ち果てて立っていた。

2階建てのその建物は外観がピンク色、こじんまりとしていて可愛らしい雰囲気を醸し出していた。

入口のドアの所に『売り物件』という張り紙があり、窓越しに中を見ると以前は営業していたことを思わせる椅子やテーブルが乱雑に置かれていた。

店の前は車が2・3台止められるようになっている。

「こんな所に店か~」「商売になるのかな?」

周りは直ぐそばに川が流れ反対側はこんもりとした山だ、イノシシが出てきてもおかしくない所だな~と思った。

ここにはどんな人がオーナーだったのだろう?その人には家族がいたんだろうな~?なぜ店を閉めたのだろうか?

私はそんなことを次々と思い浮かべながら20分ほどそこに佇んでいた。

それが半年ほど前の出来事。

それから何回かその街に出かけましたが、その店のことは気に掛からず、その道を通ることもなかった。

ある時、いつものように仕事を終わらせ帰ろうとしたが、あの店のことが思い浮かび「行ってみるか」と。

「確かこの道だったよなぁ~」と車を走らせてみたが・・・・・そばに川が流れていて、向かいは山。

しかし、ない。あの可愛らしいピンクの店がない。

「もう買い手がついて壊しちゃったのか?」でも、それらしい痕跡の場所もなければ新しく建った家も見当たらない。その日何回もその道を往復したが全く見当たらなかった。

それから何回かその道を通ってみたが、あの日見た「可愛らしいピンクのお店」は跡形もなく消えてしまった。

あれは夢だったのか?幻だったのだろうか?いったい何だったのだろうか?

世の中には不思議なことってあるようです。。。

 

むかしむかしの放浪記⑫
2020.04.29

今日はGWに突入!本来ならばウキウキする所ですが、今年はステイホーム週間です。

天気もいいんですが、こんな日は旅の続きを書こうかと思います。

さて僕らは昨日の疲れを残したまま次の街、成都に向けてホテルを出発し駅に向かった。

前回お話ししたように僕らはスリにあい財布と一緒に1等寝台の切符もすられてしまった。

前日、駅員に切符をもう一度買わされた。もしすられた切符で他の人が乗って来た時はその時また

話し合うと言われていた。「ブッキングしたら俺たちは降ろされるのか?」という一抹の不安を抱きながら

駅に到着。相変わらず駅は人、人、人でごった返していた。

でも、ここで僕らは今までにない時間を過ごすこととなった。

1等の乗客は入口から他の乗客とは違い、ホント豪華!よくニュースで日本の政治家が訪問する時に映るような部屋へ通され椅子もテーブルも重厚なものが用意されていた。全く僕ら3人には場違いの場所で係りの人も「お前らのような若造が来る所ではない」と言いたげに、こちらを見ていた。

でも、僕らは1等の切符を2倍のしかも外国人価格で買っているんだ!と心の中で叫び、この空間を満喫した。

暫くして列車が入線、改札が始まった。改札も1等は特別で待合室からホームへ入りその目の前が1等車だった。

入口には制服姿の綺麗な女性の車掌さんが立ちそれぞれの席まで案内してくれた。

僕らが案内された1等寝台は4人の個室になっていた。上下2段、4つのベットがあり、今まで僕らの乗っていた2等とは全然違いフカフカで幅も広く寝心地はバツグン!これからの成都までの時間が楽しみだった・・・ここまでは・・・

4人の定員の所に僕ら3人、心配していたすられた切符も使われないようだった。

そして列車は定刻を少し過ぎてゆっくりと動き出した。その時、個室のドアがパッと開いた。

見るとそこには大柄な軍服を着た恰幅のいい中年の男性が立っていた。

男性は僕らを見るなりウッ!と少し驚いたような顔をして立ち止まり、一息おいて入ってきた。

そして自分の席(ベット)に腰を下ろしゆっくりと僕ら3人を見回した。ホントゆっくりと、1人づつ。

部屋の中は物音一つせず、一瞬静寂に包まれた。僕らは固まった・・・だから1等なんかに乗らなければよかった。後悔してももう遅い、ここから僕らは緊張の1日を向かえることとなる。

男性は手荷物をベットの下に置き、上着を掛けドカッと座った。僕らは金縛りにあったように彼の仕草をじっと見つめていた。

男性はもう一度僕らを見回してから言葉を発した。

彼:「君たちは幾つだ?」

僕ら:「22です」「学生です」と答えた・

彼:「何処から来た?」

僕ら:「日本から来ました。」

そして香港から中国に入り、広州ー北京ー西安と旅して来たことを話した。

男性は僕らが日本人だと分かると一瞬沈黙した。この間は北京でのタクシーの時と同じだ!いや、それ以上の緊張感だった。

そして男性は自分の身分を明かし自己紹介が始まった。

もう名前は憶えていないが、彼は中国共産党人民解放軍の大佐だと言っていた。どおりで軍服には沢山の勲章らしきモノが付けてあり、帽子も凄く立派でカバンは大きな皮の長方形のモノだった。

正にお偉い軍人さんだ。

僕らのような若造がなんでこんな所にいるんだ!と驚き、まして日本人と知り複雑な心境だったのだろう。

自己紹介が終わると彼は僕らに下のベットに座りなさいと言った。

彼と対面する形で僕らは座った。すると彼は徐に話し始めた。

彼:「君らは歴史の勉強をして来ましたか?」

彼:「昔、君らのお父さん、お爺さん世代の日本人は私たちと戦争をしたのを知っているか?」

僕ら:「はい、知っています」「お互いに大きな犠牲を払ったことを習いました」

彼:「お互い?」とちょっと顔を曇らせ、「南京の街で起きたことは知っているか?」

嫌な流れになって来たぞ~南京大虐殺のことを言っているようだ。

僕ら:「詳しいことは分かりません」ここは知ってるなんて言ったら大変だと思った。

彼:「君たち日本人は我々の同胞を大勢殺した、多くの街で。」「私たちの国を侵略した。」「そして勝手に国まで作った。」

彼:「君たちはそういう歴史を勉強したか?」

僕ら:「はい、勉強しました。」あまり多くを語らず「申し訳ありませんでした」と謝った。

彼は過去の不幸な歴史を日本人は反省し、君らのような若い人は未来に向けて新しい両国の付き合いをしていってほしいと言った。

そして我が国に来てくれて嬉しいと、旅を通していろいろなことを学んで帰って欲しいと言っていた。

日本人の中で人民解放軍の大佐とさしで膝を突き合わせて説教を受けたヤツもそうそういないだろう。

ある意味、貴重な経験をさせてもらった。そして中国と日本は今でも近くて遠い国なんだということを実感させられた。

四川成都までの列車は丸一日かかるが、他のことはほとんど憶えていない。余りにもこの人との出会いが大きくて。ただ一つ記憶に残るのは、この大佐のイビキがうるさくてほとんど眠れなかったこと。

本当に1等寝台なんか乗るんじゃなかった(笑)

今回はこの辺で。次回は成都へ。

 

 

むかしむかしの放浪記⑪
2020.04.26

西安は言わずと知れたシルクロードの出発点。

ここから遥か彼方のヨーロッパまで続いていると思うとなんかワクワクしたのを憶えている。

しかし残念なことに西安からウルムチへは日程の都合上行けないと断念した。

西安と言えばやはり兵馬俑だろう。僕たちは秦始皇帝兵馬俑へ向かった。

そのスケールは壮大で先ず大きさに驚いた!およそ2000体の兵隊・馬・戦車の俑が整然と並んでいた。

兵隊俑の高さは180㎝、驚くことに一体として同じ顔をしていないそうだ。これが2000年もの間土に埋もれていたらしい。

それにしても始皇帝という人の当時の権力の大きさを改めて思い知らされた。

しばし僕らは声を失い目の前の光景に圧倒されていた。

「やはり中国ってスゲー!改めてここは大陸なんだ」と訳の分からない思いを抱きながら兵馬俑を後にした。

僕らは西安に3日ほど滞在した、ホテルは熱いシャワーが出るし申し分ない想いをしたが。

最終日と前日にとんでもない2つの事件に巻き込まれる。

僕らは次に四川省の成都へ向かうことを決め、駅に明日の列車の切符を買いに行った。

広州―北京、北京―西安と2等寝台での移動だったが、節約しての旅行で少しお金に余裕が出来たので1等の寝台に乗ろう!ということになった。初日の列車内の冒険で係員に睨まれて入ることすら出来なかったあの1等に!

少し迷った。俺たちには分不相応じゃないか?とも思ったが思い切って3枚購入。仲間の1人が代表で3枚のチケットを財布に入れ駅を後にした。後にこの決断が後悔することとなるとは・・・

僕らはホテルまで歩いて戻ろうとしていた時、3人の若い女性に声をかけられた。

3週間近く男だけで旅行して来た僕らは不意に女性から声をかけられてちょっとドキドキし舞い上がってしまった。「あなた達はシャンガンレン?」香港人?「いや、リーベンレンです」日本人です。

そんな会話から始まり飲みに行こうということになった。女性たちに連れられて行った店はディスコのようで飲んで踊れる店だった。

しばしの時間を過ごし、女性たちはこれから友達と合流して他の店へ行くということなので僕らはここで帰ることにした。

帰り道、まだ飲み足りないということで僕らはビールを買いに店へ入った。この頃の中国の店は商品がガラスケースと棚に並んでおりケースの向こう側に店員がいて客と対面で接客する。

仲間の1人がビールを買おうと店員に「ビール6本」と注文している時だった。2人の男が仲間の両脇へ近づいて来たと思ったら凄い勢いで店を出て行った。

僕ともう一人の友達は何があったのかよく分からず、「今の何だ?」ぐらいに思っていたらビールを買っていた仲間が代金を払おうとして、もぞもぞしていたので「どうした?」と声をかけると「財布がないんだ」「ポケットに入れたと思うんだけど・・・」

そして僕らはピンときた!さっきの男2人だ!すられた!・・・もっと早くピンと来い!時すでに遅し。

友達は財布を見事にすられた!そして僕らが奮発して買った明日の成都行き1等寝台の切符3枚も一緒に!

現金はそんなに入っていなかったが切符が・・・・・

後になって思うとあの3人の女性もスリの一味だったのかな?と。僕らが金を持っているかどうか探ったのかもしれない。そんなことを考えても財布は戻ってこない。僕らは公安(警察)へすられたことを届け出た。

店を出ると冷たい雨が降っていた。公安へ着きすられたことを告げると少し待たされた。暗く寒い廊下のベンチに座り小一時間ほど待たされたかな、3人とも何も話さず寒さもあり、かなり落ち込んだ。やっと呼ばれ、応対してくれたのは制服姿の強面のオジサンで「多分財布は戻らない」「届けは受け付ける」と。僕らは明日、成都に向かうがその切符もすられたというと、我々には分からないから駅に行けといわれ。寒い雨の中をまた駅へ。

駅までどのくらい歩いただろう、重い足取りで駅に着き、駅員に事の真相を話すと、「切符が無ければ列車には乗れない」「もう一度切符を買い直せ」と言われた。

それでは2等寝台の切符を買いたいと言うと、「それはダメだ」「もう一度同じ切符を買え」と言う。

仕方なく僕らはもう一度1等寝台の切符3枚を買った。全く高い高い買い物になってしまったが、これも経験だと自分たちに言い聞かせホテルへ帰った。

一つよかったのは帰って冷え切った身体を熱いシャワーで温め洗い流せたこと。北京のホテルだったらもっと最悪だった。

僕らは誰も無口で疲れ果てベットへ崩れ込んだ。

今回はここまで。明日は成都へ向けて気分一新向かおう!

しかし、ここでこの旅一番の事件?事件というか自分の人生の中で衝撃的な人との出会いが待っていた。

それは次回のお楽しみ。

 

むかしむかしの放浪記⑩
2020.04.21

調子よく今日は昨日に続き投稿します。

僕らはここ北京で二手に分かれることになった。一人はどうしても上海へ行くというので我らは3人になりいざ西安へ。北京~西安は距離にして1200キロちょっと。広州~北京が2500キロほどだったからちょうど半分ってとこですか。

僕らはまた2等寝台へ滑り込んだ。相変わらず車内はいっぱいだ!駅も人人人だった。

当時の中国は列車の料金は一般の中国人より外国人の方が高い。前にも言ったがお金も人民元ではなく外国人は兌換券という専用のお札がある。同じ1元でも兌換券の方が価値がある、なので中国の人は外国人だと分かると「チェンジマネー」と言って交換を求めてくるのだ。先の列車内では「大行列事件」が起こってしまったので僕らはお金のない貧乏旅行者だということを全面に押し出して全てお断りしていた。といってももう中国に入国して2週間近く経っていたので身なりも結構同化していたかもしれない(笑)

列車は丸一日ほどで西安に着いた。ここで僕たちは事件に巻き込まれるがそれは後ほど。。。

駅に降り立つと雨だった、それも土砂降り。僕らはホテルへ向かう前に寄りたい所があった。

ガイドブックで有名な点心の店が駅前にある、腹もすいていたのでその店に向かった。

駅前というのにグチャグチャの泥道を横切りその店へ、雨というのに人でいっぱいだった。

暫くならんで入店、ここは包子のお店でいわゆる餃子、蒸し餃子オンリー。竹の蒸篭がオープンキッチンで山高く積まれていた。注文は蒸篭何枚?ひたすら餃子をいただく。この蒸し餃子がなんか旨い!気づくと僕らのテーブルには蒸篭が30枚ほど積まれていた。

日本では餃子とご飯を一緒に食べるが、中国では餃子だけ食べる。水餃子や蒸し餃子を食べるので皮も厚めで小さくても食べ応えがあり腹に溜まるようである。

お腹がいっぱいになった僕らはホテルへ向かった。

西安という街は周りを城壁で囲まれていて、僕らのホテルは城壁の外側にあった。

僕らは先ずシャワーの確認へ、やった!お湯が出る。

温かいシャワーを浴びその夜は崩れるように眠った。

今回はここまで、次回はあの有名な観光地へ。何処だ?何処だろう・・・

むかしむかしの放浪記⑨
2020.04.20

お久しぶりです。

ホントに久しく間があいてしまいました。

前回の投稿が昨年のクリスマス、あれから4か月、世界の情勢はガラリと変わり只今コロナ騒動の真っただ中です。

みなさまはどうお過ごしでしょうか?街では緊急事態宣言が出され自粛が続いています。コロナに勝ってこの先もみなさまが幸せに過ごせますように祈ります。

さて、前回は北京滞在の話でしたが今回もまだ北京のお話。

僕たちは学生の貧乏旅行者、泊まる宿はホントに安い安宿です。流石にお湯の出ないシャワーに悩ませられましたが、なんとか気合で身体を洗い過ごしました。

今日は何処に行こうか?万里の長城、盧溝橋と巡り、やはりここは故宮・天安門広場へ行かなくちゃ!とベタな所へ。先ずは天安門広場、「なんだ?この広さは?」「いったい何の為にこんな広い空間が必要なんだ?」と日本人には理解しがたいものがありました。モスクワには「赤の広場」そして北京にはこの「天安門広場」社会主義国にはこういった広い空間がつきもので、ある意味威厳の象徴なのだろうか?遠く故宮の入り口には【毛沢東の肖像画】これもありがちな光景だと思った。

僕らが行ったのはあの【天安門事件】の前だった、後にニュースで見た時、あそこで起こったのかと、あの広場に戦車が突入して来たのかと・・・・・マジで怖い。

当時広場の隣にケンタッキーがあった、「この雰囲気にケンタッキーかぁ~」とちょっと違和感を持ったのを憶えている。

そして故宮へ。言わずと知れた「清王朝の宮殿」である。その姿はテレビなどで見ていたのだが、実際の故宮は奥が広い。いくつもの建物が奥へ奥へと延びており、また建物の様式も同じなので迷子になりそうだ。

ここに歴代の皇帝が住み、日本でも有名なあの西太后がいたのかと悠久の歴史に浸りながら見学してきた。

ここで余談だが、場所はよく分からないが僕らは昼食を取ろうと街のレストランへ。そこでいろいろと注文した中で干焼蝦仁(エビチリ)を頼んだ。それが思いの他旨く、「このエビチリうめぇな!」と。

次の日もあのエビチリを食おうと店へ。そしてエビチリを注文。

料理が出てきて「う?」一口食べて「え?」昨日のエビチリとは明らかに違う。

旨くない、いや、マズい!なんで?訳がわからない。

あとで中国の友人に聞いたところ「作る人が違ったんだよ」「街のレストラン、特に有名店じゃなきゃよくあること」だって。でもレシピってないの?料理人も入れ替わりが激しく老舗や有名店だと長く務めるけど安いレストランは日によって変わるらしい。もうガッカリしホテルへ帰った。

一通り北京の街を観光したし、次は何処へ行こうかという時に僕らは意見が分かれた。一人は上海へ行きたい。そして僕ら残りの者は西安へ。僕はシルクロードの出発点といわれる西安という街にこの旅行前から興味があり、どうしても行きたかった。そしてシルクロードを旅してみたいと・・・

どうしても折り合いがつかす僕らはここから二手に分かれることになった。

さぁ、いざ西安へ。そしてこの西安で僕らはとんでもないことに巻き込まれる。

それはまた次回。

 

むかしむかしの放浪記⑧
2019.12.25

こんにちは、しばらく間が空いてしまいました。

もう2019年もあと一週間、ここからまた思い出話しを再開しますか。

前回は首都・北京到着、ホテルへ。そして万里の長城までで終わりましたが、この間、隣国との関係も冷え切ったまま。

香港でも凄いこといになってますね。

来年は東アジアの国々が仲良くやって行けるように願いつつ話しを始めましょう。

僕らは次の日、盧溝橋へ向かうことに。

みなさんは知っていますか?『盧溝橋事件』とやらを。

歴史の教科書にも出てきたかな?日本と中国が戦争になるきっかけを作ったとされる事件です。

当時の日本軍と中国軍とが情報の行き違いなどから発砲が始まりお互いに死傷者・負傷者を出し、ここから日中戦争へと進んで行きます。歴史上大変重要な事件となりました。

僕らはせっかく北京に来たのだから盧溝橋なるもの、その場所へ行ってみようと・・・・・

行ってみてビックリ!というか少子抜けと言った方がいいのかな。

そこは普通の田舎の風景で、ほんとに、ほんとにちっぽけな橋があるだけ。

橋のたもとに資料館があったが、「ここがあの盧溝橋事件が起こった場所か?」と疑いたくなるような所だった。

歴史の重要な1ページになった場所がこんな長閑な田舎の風景とはなぁ~・・・

そんなこんなで僕らは北京の街へ戻った。

腹が減ったので王府井(ワンフーチン)へ行ってみた。

ここは北京では有名なグルメスポットで、いろいろな屋台が連なっていた。

包子などの中華点心はもちろん、シュラスコみたいな羊?の焼肉みたいなもの、甘い点心など。

一通り歩けばお腹はいっぱいになるし、お値段も格安だ!

一口に中国料理と言ってもホンと中国は広いんだなぁ~と痛感した。

中国は多民族国家、言葉も顔だちも北と南では違うし、内陸と海岸地域でも気候が変われば味付けや食材も多種多様。

そんな発見も面白かった。

さ、今回はこの辺で。

 

 

むかしむかしの放浪記⑦
2019.09.08

さて、首都北京だ!

今から30年ほど前になる、現在の北京はきっと大きく様変わりしていることだろうが。

当時の北京いや中国は市場経済が導入される前で華やかさはなく、社会主義の国ということは空気で分かった。

人々は人民服を着て車よりも自転車が目立った。車道の両側に自転車道があって凄まじい数の自転車が行きかう。

その光景は僕たちを唖然とさせた。

北京初日、僕らは先ず此処へと向かった先は、万里の長城。

北京の街からバスに揺られどのくらいだっただろうか。バスは満員!ここで面白い光景を・・・

隣の男性がおもむろに窓を開け、「フーン!」と大きい音を立てた。始めは何をしたのか分からずにいたがまた「フーン!」と・・・男性は鼻をかんだのだ。片方の鼻の穴を塞ぎ思いっ切り息を吹き出す。そしてもう片方。

勢いよく鼻水は車外へ放出された!

スゲーな!なんと豪快な方法だろう。ティッシュの節約だな。そういえば列車の中でも、ある女性が朝、歯磨きをしようと歯ブラシに歯磨き粉を付けるのか?と思いきや!その量が!うっスーいの!!!

「エッ!その量?」「それでイケる?」ビックリした。

そしてもう一つ驚いたのが子供のパンツだ!敢えてズボンと言おう。股の所が裂けているのだ。日本のようにオムツは履かないらしい。用を足す時はしゃがめば即出来るように・・・・上手く考えたな(笑) でもお尻は寒そうだ。

話しは脇道に逸れたが、バスは万里の長城へ到着。駐車場から長城へはさほどなく、右が男坂、左が女坂と案内板が立っていた。僕らは男坂へ、やはりこちらの方が混んでいた。登れる所は限られていて、ここまでという先はもう相当朽ち果てていた。でもこんな山の中によくこんな建造物を作ったもんだと感心した。やはり中国4000年の歴史は凄いと思った。

今回はここまで、なんかくだらないことを書きすぎて長くなってしまった。

すみません。

次回は盧溝橋、そして街に戻って故宮・天安門へと・・・

むかしむかしの放浪記⑥
2019.08.21

やっと?いや楽しい時間を列車内で過ごし北京に到着。日は沈み夕方になっていた。

駅で安いホテルを教えてもらいその足でタクシーに乗った。

タクシーの運転手さんは40代ぐらいの男性、僕らがホテルの名前を告げると愛想のいい笑顔で車を走らせた。

彼は運転しながら僕らに話しかけてきた。「北京へは何しに来たの?」「観光かい?」

「はい」「観光で、広州から列車で来ました」といった世間話を筆談を交えてにこやかにしていた。

そして彼は、「君たちはシャンガンレンかい?」シャンガンレン・香港人ですか?と聞いて来た。

「いいえ、リーベンレン・日本人です」と答えた。

すると彼の表情が見る間に変わり笑顔が消えた。そしてその後、ホテルに着くまで一言も話さなかった。

それまでの人生の中で、これほどまでに態度を急変させた人を見るのは初めてだった。

余程、日本人に嫌な感情を持っているのだろうか?家族や知り合いに先の戦争で痛い目にあったのか?

無言の車内は得体の知れない空気で恐怖を感じた。

何処かへ連れて行かれるんじゃないか?ホテルへ着けるのか?

でも彼はそんな悪い人ではなかったようで・・・そんな心配もなく、無事ホテル到着。

料金を払い、「ありがろう」と言っても彼は無言のまま車を走らせ去って行った。

前回も触れたが、この国と日本の歴史を肌で感じた出来事の一つ。この後、もっと強烈に、ダイレクトに痛感させられる出来事が起こるが、それは追々。

教えてもらったホテルは外観は結構立派だった。部屋はツインで僕らは2部屋にチェックインした。

ベッドが凄かった、固い。これがベッドか?床にうっす~い布団1枚って感じ。そして浴室、シャワーだ!

シャワーだけってことには別に驚かない。お湯が出ない。2月の北京は真冬、香港や広州とはまるっきり違う。

これには参った。ここに5泊ぐらいしたのだが、シャワーは昼間に入ることしか出来なかった。

でも料金は安かったので貧乏旅行の僕らには文句も言えず、人間慣れればそれなりに快適に過ごせた。

北京ではこの後、いろんな観光地へと足を運んだ。それは次回、今日はここまで。

むかしむかしの放浪記⑤
2019.08.14

列車は北京へ向けて走っていた。

僕らが乗ったのは2等寝台、人が1人寝ると幅はキッチキチ!当然個室ではなくカーテンが付いていた。

しばらくして、僕らは好奇心から列車内の探検に出た。

車内は満席、現地の人ばかりで僕らのような外国人旅行客は見当たらない。と言っても僕らも現地の人に溶け込んでいるようだが(笑)

この国の人はなんでそんなに荷物が多いのかなぁ~?1人で荷物を3つも4つも抱えている。旅行というより家へ帰る人たちだろうか・・・

2等の座席指定の車両はもっと凄かった。

椅子はもちろん満席!通路まで人、人、人だ!これで何時間もいや丸1日・2日は辛い。

寝台にして正解だった。

1等の座席指定と寝台車へは車掌?軍服のような制服を着た係員がいて出入りを制限しているようだ。

貧乏学生の僕らには別世界、立ち入り禁止ってことだな。

車両の端、入り口付近には給湯器があっていつでも熱いお湯が出る。現地の人はウーロン茶?プーアール茶?をよく飲むようだが、当時は景徳鎮のカップ(フタ付き)をみんな持っていてこの給湯器は大人気だった。

僕らも広州で呉さんの奥さんからアドバイスをもらってカップを買っていたのでこの給湯器にはホンとお世話になった。

車窓を眺めると中国って大陸だぁ~と、駅の間隔はとにかく長い!地平線って日本にいたら見たことないでしょ?ここは大陸なんだ!

そして駅に近づくとやたらと石炭と煉瓦が山積みされている。こちらの建物をよくみると煉瓦で作られたモノが多い。だからかなぁ~?

先ほどの給湯器も石炭?コークス?が使われており、暖房もこれでまかなわれているようだ。

なんといっても丸2日車内で過ごすんだが、食事は旨かった。

食事と言っても、僕らはもっぱら弁当を食べていた。駅に停まると弁当売りが始まる。

大体はルーロー飯、いわゆるぶっかけ飯だな。

チンジャオロースのようなものもあるし、魚のあんかけがかかっているものなど結構美味しい。

日本人は中華料理は口に合うのかな。世界中で日本料理店よりも中華料理店の方が圧倒的に多いらしい。

どの街にも1軒はあると。そして食べるものに困ったら中華料理を食べとけば大体は外れはないと以前聞いたことがある。中国4000年の味は偉大だな。

この列車の旅は2日という長さを感じることもなくアッという間とは言わないが楽しく過ごせた。

ただ一つ、ちょっとした事件?が起きた。『大行列事件』

僕らの寝台は2等でベッドが3段、向かい合わせになっていた。したがって6人が一つの空間を共有している状態。昼間は一番下のベットにみな座ることが多い。僕ら4人の他に中国の男性2人と一緒だった。

この男性たちは重慶の実家へ帰るということだった。僕らは日本の学生で1か月の旅行に来たこと、これから北京に行くまでは決まっているが、その先は全く決めていないこと。などなど身の上話しをしていた。日本も中国も漢字圏、大体は筆談で漢字を書くと意思疎通は出来る。

でも、日本人だといった時、1人の男性はそうでもなかったがもう一人の男性はちょっと嫌な顔をした。

その時はよく分からなかったが、重慶といえば戦争中に日本軍が爆撃をした街である。多分、男性の家族や知り合いで亡くなった方がいたのだろうか?

その後は何となくよそよそしい感じになった。

翌朝、「チェンジマネー」と片言の英語で僕らの兌換券(外国人用の紙幣)と自分らの人民元を交換してくれと。

兌換券の方が同じ1元としても価値が高い。

昨日のギクシャクした雰囲気もあったし、人民元でも買い物は出来るし、「OK!」と言って交換に応じた。

すると噂が広まるのの早いこと、早いこと。次から次へと人が来て大行列が出来上がった!

流石に全財産を人民元には替えられない、大体そんなに大金を持っているはずもない。そしてなにより人民元は出国の時に両替ができないのだ!余ったら紙切れになってしまう。

次から次へと来る人に頭を下げてお引き取りいただいたが、自分の人生に於いてこんな行列は見たことないし、こんなにも頭を下げたことも初めてだった。

まぁ、いろいろあったこの大移動も振り返れば楽しい時間だった。

そして列車は無事北京に到着した。

今回はここまで、次回は首都北京でのお話。

 

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