毎度ありがとうございます。
今回、業務用の生餃子の販売を再開する運びとなりました。
「お店の餃子を変えてみたい」「新しくメニューに餃子を加えてみたい」「イベントで餃子を」等々。
お考えの方はお気軽にお問い合わせください。
先ずは【ジャンボギョーザ】と【ジャンボシュウマイ】の2品から始めたいと思います。
ギョーザ・シュウマイ共に60gほどあります。
業務用価格での販売になります。販売は最小ロッド200個から。
ご注文、詳しい内容、お問い合わせはお電話又はメールにて承ります。
ぎょうざやへいはち 042-471-6715
お問い合わせ・ご注文は下記まで。内容欄にご記入ください。
https://www.giyouzayaheihachi.com/inquiry.php?u=35f7fc3e7fbf2d90689a17fe3355e99a
毎度ありがとうございます。
当店の人気NO1!ジャンボギョーザ・ジャンボシュウマイをお得なセットでお値打ち価格でお届けいたします。
1個の大きさが60g!のジャンボ肉ギョーザ!・ジャンボシュウマイを各1パック15個。
2パック30個入りを通常価格4200円税込(送料・梱包料別)のところ、
全国どこでも送料・梱包料は無料で3980円!!!でお届けいたします。(その他に代引き手数料330円はお客様負担になります)
年内いっぱいの期間限定キャンペーンです。
ご注文はTEL又はメールで承ります。
こちらはキャンペーン商品ですのでホームページからの注文は出来ません。
Aセット ジャンボギョーザ15個×2パック
Bセット ジャンボシュウマイ15個×2パック
Cセット ジャンボギョーザ15個+ジャンボシュウマイ15個
ご注文時に、お名前・ご住所・お届け先(ご住所と同じ場合は必要ありません)・お電話番号をお知らせください。メールでのご注文でも同じことをご記入ください。発送の日時などを折り返しお知らせいたします。
代金は商品代引きとさせていただきます。クレジット決済は出来ません、ご了承ください。代引き手数料330円はお客様ご負担になります。よろしくお願いいたします。
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ぎょうざやへいはち
貴女に会えて本当によかった・・・・
さて、首都北京だ!
今から30年ほど前になる、現在の北京はきっと大きく様変わりしていることだろうが。
当時の北京いや中国は市場経済が導入される前で華やかさはなく、社会主義の国ということは空気で分かった。
人々は人民服を着て車よりも自転車が目立った。車道の両側に自転車道があって凄まじい数の自転車が行きかう。
その光景は僕たちを唖然とさせた。
北京初日、僕らは先ず此処へと向かった先は、万里の長城。
北京の街からバスに揺られどのくらいだっただろうか。バスは満員!ここで面白い光景を・・・
隣の男性がおもむろに窓を開け、「フーン!」と大きい音を立てた。始めは何をしたのか分からずにいたがまた「フーン!」と・・・男性は鼻をかんだのだ。片方の鼻の穴を塞ぎ思いっ切り息を吹き出す。そしてもう片方。
勢いよく鼻水は車外へ放出された!
スゲーな!なんと豪快な方法だろう。ティッシュの節約だな。そういえば列車の中でも、ある女性が朝、歯磨きをしようと歯ブラシに歯磨き粉を付けるのか?と思いきや!その量が!うっスーいの!!!
「エッ!その量?」「それでイケる?」ビックリした。
そしてもう一つ驚いたのが子供のパンツだ!敢えてズボンと言おう。股の所が裂けているのだ。日本のようにオムツは履かないらしい。用を足す時はしゃがめば即出来るように・・・・上手く考えたな(笑) でもお尻は寒そうだ。
話しは脇道に逸れたが、バスは万里の長城へ到着。駐車場から長城へはさほどなく、右が男坂、左が女坂と案内板が立っていた。僕らは男坂へ、やはりこちらの方が混んでいた。登れる所は限られていて、ここまでという先はもう相当朽ち果てていた。でもこんな山の中によくこんな建造物を作ったもんだと感心した。やはり中国4000年の歴史は凄いと思った。
今回はここまで、なんかくだらないことを書きすぎて長くなってしまった。
すみません。
次回は盧溝橋、そして街に戻って故宮・天安門へと・・・
やっと?いや楽しい時間を列車内で過ごし北京に到着。日は沈み夕方になっていた。
駅で安いホテルを教えてもらいその足でタクシーに乗った。
タクシーの運転手さんは40代ぐらいの男性、僕らがホテルの名前を告げると愛想のいい笑顔で車を走らせた。
彼は運転しながら僕らに話しかけてきた。「北京へは何しに来たの?」「観光かい?」
「はい」「観光で、広州から列車で来ました」といった世間話を筆談を交えてにこやかにしていた。
そして彼は、「君たちはシャンガンレンかい?」シャンガンレン・香港人ですか?と聞いて来た。
「いいえ、リーベンレン・日本人です」と答えた。
すると彼の表情が見る間に変わり笑顔が消えた。そしてその後、ホテルに着くまで一言も話さなかった。
それまでの人生の中で、これほどまでに態度を急変させた人を見るのは初めてだった。
余程、日本人に嫌な感情を持っているのだろうか?家族や知り合いに先の戦争で痛い目にあったのか?
無言の車内は得体の知れない空気で恐怖を感じた。
何処かへ連れて行かれるんじゃないか?ホテルへ着けるのか?
でも彼はそんな悪い人ではなかったようで・・・そんな心配もなく、無事ホテル到着。
料金を払い、「ありがろう」と言っても彼は無言のまま車を走らせ去って行った。
前回も触れたが、この国と日本の歴史を肌で感じた出来事の一つ。この後、もっと強烈に、ダイレクトに痛感させられる出来事が起こるが、それは追々。
教えてもらったホテルは外観は結構立派だった。部屋はツインで僕らは2部屋にチェックインした。
ベッドが凄かった、固い。これがベッドか?床にうっす~い布団1枚って感じ。そして浴室、シャワーだ!
シャワーだけってことには別に驚かない。お湯が出ない。2月の北京は真冬、香港や広州とはまるっきり違う。
これには参った。ここに5泊ぐらいしたのだが、シャワーは昼間に入ることしか出来なかった。
でも料金は安かったので貧乏旅行の僕らには文句も言えず、人間慣れればそれなりに快適に過ごせた。
北京ではこの後、いろんな観光地へと足を運んだ。それは次回、今日はここまで。
列車は北京へ向けて走っていた。
僕らが乗ったのは2等寝台、人が1人寝ると幅はキッチキチ!当然個室ではなくカーテンが付いていた。
しばらくして、僕らは好奇心から列車内の探検に出た。
車内は満席、現地の人ばかりで僕らのような外国人旅行客は見当たらない。と言っても僕らも現地の人に溶け込んでいるようだが(笑)
この国の人はなんでそんなに荷物が多いのかなぁ~?1人で荷物を3つも4つも抱えている。旅行というより家へ帰る人たちだろうか・・・
2等の座席指定の車両はもっと凄かった。
椅子はもちろん満席!通路まで人、人、人だ!これで何時間もいや丸1日・2日は辛い。
寝台にして正解だった。
1等の座席指定と寝台車へは車掌?軍服のような制服を着た係員がいて出入りを制限しているようだ。
貧乏学生の僕らには別世界、立ち入り禁止ってことだな。
車両の端、入り口付近には給湯器があっていつでも熱いお湯が出る。現地の人はウーロン茶?プーアール茶?をよく飲むようだが、当時は景徳鎮のカップ(フタ付き)をみんな持っていてこの給湯器は大人気だった。
僕らも広州で呉さんの奥さんからアドバイスをもらってカップを買っていたのでこの給湯器にはホンとお世話になった。
車窓を眺めると中国って大陸だぁ~と、駅の間隔はとにかく長い!地平線って日本にいたら見たことないでしょ?ここは大陸なんだ!
そして駅に近づくとやたらと石炭と煉瓦が山積みされている。こちらの建物をよくみると煉瓦で作られたモノが多い。だからかなぁ~?
先ほどの給湯器も石炭?コークス?が使われており、暖房もこれでまかなわれているようだ。
なんといっても丸2日車内で過ごすんだが、食事は旨かった。
食事と言っても、僕らはもっぱら弁当を食べていた。駅に停まると弁当売りが始まる。
大体はルーロー飯、いわゆるぶっかけ飯だな。
チンジャオロースのようなものもあるし、魚のあんかけがかかっているものなど結構美味しい。
日本人は中華料理は口に合うのかな。世界中で日本料理店よりも中華料理店の方が圧倒的に多いらしい。
どの街にも1軒はあると。そして食べるものに困ったら中華料理を食べとけば大体は外れはないと以前聞いたことがある。中国4000年の味は偉大だな。
この列車の旅は2日という長さを感じることもなくアッという間とは言わないが楽しく過ごせた。
ただ一つ、ちょっとした事件?が起きた。『大行列事件』
僕らの寝台は2等でベッドが3段、向かい合わせになっていた。したがって6人が一つの空間を共有している状態。昼間は一番下のベットにみな座ることが多い。僕ら4人の他に中国の男性2人と一緒だった。
この男性たちは重慶の実家へ帰るということだった。僕らは日本の学生で1か月の旅行に来たこと、これから北京に行くまでは決まっているが、その先は全く決めていないこと。などなど身の上話しをしていた。日本も中国も漢字圏、大体は筆談で漢字を書くと意思疎通は出来る。
でも、日本人だといった時、1人の男性はそうでもなかったがもう一人の男性はちょっと嫌な顔をした。
その時はよく分からなかったが、重慶といえば戦争中に日本軍が爆撃をした街である。多分、男性の家族や知り合いで亡くなった方がいたのだろうか?
その後は何となくよそよそしい感じになった。
翌朝、「チェンジマネー」と片言の英語で僕らの兌換券(外国人用の紙幣)と自分らの人民元を交換してくれと。
兌換券の方が同じ1元としても価値が高い。
昨日のギクシャクした雰囲気もあったし、人民元でも買い物は出来るし、「OK!」と言って交換に応じた。
すると噂が広まるのの早いこと、早いこと。次から次へと人が来て大行列が出来上がった!
流石に全財産を人民元には替えられない、大体そんなに大金を持っているはずもない。そしてなにより人民元は出国の時に両替ができないのだ!余ったら紙切れになってしまう。
次から次へと来る人に頭を下げてお引き取りいただいたが、自分の人生に於いてこんな行列は見たことないし、こんなにも頭を下げたことも初めてだった。
まぁ、いろいろあったこの大移動も振り返れば楽しい時間だった。
そして列車は無事北京に到着した。
今回はここまで、次回は首都北京でのお話。
さて、深圳から列車に乗って広州に着いた。
中国4大料理の一つで、『食は広州にあり』とも言われるグルメの街。
片っ端から食い歩きたいところですが、なんと言っても僕らは学生の貧乏旅行。
それでもこの町で人の温かさと出会った。
仲間のうちの1人が中国・広州出身の呉さんとバイト先が一緒で、中国へ卒業旅行に行くと言った所、それでしたら「僕の家を訪ねてください」と。
広州へ着き連絡を入れると、呉さんの奥さんが駅まで迎えに来てくれた。
そして家へ招き入れてくれ、食事をご馳走してくれた。
中国の本当の家庭料理、どれも美味しくお酒も入り僕らは時間も忘れて楽しいひと時を過ごした。
当時の中国では、外国人を家に招いたり泊めてはいけない。と事前に聞いていたので呉さんに迷惑がかからないかと心配していたのだが、奥さんは「あなた達はお金があまりないんだから今晩は泊まっていきなさい」と言ってくれ、その晩は泊めさせてくれた。翌日は飲茶の美味しい店へも連れて行ってくれ、至れり尽くせりのおもてなし。
最後に駅で僕たちを見送ってくれた。
初めて会った僕らにこれ程に親切な対応をしてくれるなんて、素直にうれしく感謝の気持ちでいっぱいだった。
僕の知り合いの中国人に以前こう言われたことがある。「貴方は好き、だけど日本はあまり好きじゃない」と。
2国間に流れる微妙な歴史感の違いが背景にあるのだろうが・・・しかしこの旅でまざまざとその感情の違いを体験することとなる、この時はまだ分からなかったが・・・・・
さぁ、これから楽しい旅が出来そうだ。
広州の駅に着いた僕らは、しばし作戦会議。これから何処へ向かうか?何も決めていないノープラン。
4人のうち2人は上海へ行きたい、僕ともう1人は四川へ行こうと。
意見が分かれる中、切符売り場へ向かうと上海へも四川へも出発までしばらく時間があった。
北京行きならちょうどある。「じゃあ北京へ行くか!」
一同異議なし!僕らは北京行きの2等寝台車の切符を購入して列車に飛び乗った。
後で分かることだが、広州ー北京間は距離にして約2500キロ、日本列島の九州から北海道と同じかそれ以上の距離ということだった。時間もゆうにまる2日かかった。
当時の中国の鉄道は日本と違い時間もかなりルーズで、とにかく人が多い。
切符の種類は4つあって、2等の座席指定、2等寝台、1等座席指定、1等寝台となっていた。
料金は当然1等寝台が一番高い。外国人の料金は外貨獲得の為に一般の人よりも高く設定されていた。
使う紙幣も外国人が使う元と中国の人が使う元(人民元)とは違っていてレートも違うということになっていた。
そして行く先々で現地の人から人民元と変えてくれとせがまれることとなる。
列車はゆっくりと彼方先の北京へ向けて走り出した。
人生初の寝台車!しかも2500キロの長旅だ!さぁ、どうなることやら(笑)
今回はここまで、次回はいざ!首都北京へ!
さぁ、今日はいよいよ中国に入国です。
その前に、1泊したホテル。確か『セントラルホテル』っていったかな~?
ホテルとは名ばかりの安宿で、よく言えばユースホステルのような感じ。
ここは人種の坩堝で、エレベーターに乗り合わせた人は何処の人だろう?
香辛料の臭いがした。多分インド系かインドネシアなど東南アジア系だろうか・・・初めて嗅ぐ体臭!
数十年経った今でもあの刺激的な臭いは忘れない。
「世界は広いなぁ~、いろんな人がいるんだなぁ~」と思った。
そもそも今回のこの旅は成田~香港のチケット代と初日と最終日のホテル代、中国への入国ビザがセットとなっていて入国後はフリープラン、自分たちで行先を自由に決めるというものだった。
さぁ、話を戻し、僕たちは電車に乗り深圳を目指した。
香港の中心部から中国国境の羅湖という駅までどれほどかかったのだろうか、終点で降りるとそのままホームを歩いて入国ゲートへ向かった。そして入国、中国だ!我々の日本とは違い、ここは社会主義国。そう思ったら僕らは無事に出てこられるのだろうか?と一抹の不安を感じた。
そしてこのたった数百メートル、入国ゲートの向こう側からこちら側へ歩いただけで10年、いや20年ほどタイムスリップしたような気分になった。
香港から乗った電車は例えるなら日本の地下鉄のよう、入国し乗り込んだ列車は、昔SLが引っ張っていたような客車(実際にSLに乗ったことはないが)のよう。
まちの景色も空気も一変した。今は深圳といえば大都市だが、この頃の深圳は田舎街。
改めて「これが中国か!」
そして僕らは次の街、広州へ向かった。
今回はここまで、次回は広州。
先ず旅の始まりは成田から香港へ。
卒業旅行だったので2月の香港は、それほど寒くもなくという気候。到着は夜だった。
僕たちは予約してあるホテルまでタクシーに乗った。
今思えば学生の貧乏旅行、この選択が不味かった。
ホテルの住所を伝え乗り込むと勢いよく車は滑り出した。
香港という土地柄、真っ直ぐな道はなくハイウェイはカーブが激しい。
タクシーのおっちゃんはそこをスイスイとすり抜けて行く。
助手席に座った僕は、ふと窓の外へ目をやった。
「エッ!」左のドアミラーがない!
このおっちゃん、何処見て車線変更してるの?長年のカン?
この時、助手席に座ったことを後悔したが、もうこのおっちゃんのカン?とやらに身を任せるしかない。
そうしているうちに車はくねくねとした山道を走りだした。
「???」
これは道が違うんじゃないかな?
片言の英語と筆談で「何処へ向かってる?」と。
するとおっちゃんは、「グットプレイス」「ビューティフル」「オーケー」「オーケー」と
「こいつ、ビクトリアピークに連れて行く気だな」
僕たちは学生の貧乏旅行者、これは幾らボッタくられるか分からない。
4人で騒ぎ立てた!今となっては何を言ったか定かではないが、男子4人対おっちゃん1人。
車はビクトリアピークに到着したが男子4人は騒ぎ通し、車はUターンして山を下りやっとの思いでホテルへ。
おっちゃんは当然のごとくボッタくりの金額を提示したが、僕たちは提示額の半分の金しかない!と逆におっちゃんに詰め寄った!
おっちゃんは、渋々お金を受け取り何か捨て台詞を言って走り去った。
何を言ったのかは分からないけど、「ふざけるな!」とか「馬鹿野郎」みたいなことだろう。
僕たちはみな言葉もなく、ホテルにチェックイン。その晩は崩れるように眠った。
香港では帰りにもボッタクられる事件が起こるが、それは後ほど・・・
今回はここまで、さあ、明日は中国に入国だぁ~!!!